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見解・声明

11年7月 1日(金)

[見解]門川市政の継続は認められない~自治体に求められている役割と現市政の3年間~ 市政評価

日本共産党京都市会議員団

 来年2月の京都市長選挙が迫ってきました。東日本大震災と福島原発事故は、国や地方自治体のあり方を大きく問いかけました。市民のくらしと京都の地域経済はいっそう深刻の度合いを強めています。市民のくらしを守る上で、地方自治体の役割とは何か、そのもとで門川市政の3年間がどうであったのか。日本共産党京都市会議員団の見解を明らかにするものです。

(1)市民のくらしの現状と大震災が問いかけた地方政治のあり方

①市民の各層から不安とくらしの悲鳴が

 「放射能汚染が心配です」「原発依存でいいのか」「京都は大丈夫か」など東日本大震災と原発事故のもとで不安の声が広がっています。国民健康保険料に対して、「高すぎてとても払えない」の声が相次ぎ、保険証の取り上げや財産の差し押さえが強まり命を失うケースも生まれています。公務員削減がすすめられ、市民の窓口でも正職員が減り、「充分な相談にのってもらえない」と不満や不安の声も増えています。

 保育についても、国の規制緩和の動きや保育所の定員外入所にたよる待機児解消策を心配する声、保育の現場からは「年休も取れない」「へとへとになっている」の声が上がり、市民からも「京都市は保育充実の責任を投げ出さないで欲しい」の切実な声が出されています。

 経済危機のもとで、中小企業団体や経営者からは「何度も書類の提出を求められ、誠実に応えてきたのに融資が受けられなかった。」「機械のリース代が払えず廃業に追い込まれた。」の声や、ものづくり都市にふさわしい中小企業の技術、技能の継承支援を求める声が上がっています。さらに中小企業支援の行政責任を明確にした「中小企業振興基本条例」の制定を求める強い要求も出されています。

②東日本大震災と福島原発事故の経験をしたもとでの自治体のあり方

 3月11日の東日本大震災と福島原発事故は、日本と世界に大きな衝撃をあたえました。復興支援では、日々の生活再建のための基盤整備に目が向かない国の政治への強い怒りと批判が広がっています。原発事故問題は、放射能汚染の深刻な実態と被害の広がりを前に、原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を求める世論と運動が急速に広がるなど、国と地方自治体のあり方について根本的な転換を問いかけました。

 東日本大震災と福島原発事故の教訓を汲みつくした防災総点検が求められています。阪神大震災から16年もたつのに、木造住宅の耐震改修率は5割台、耐震改修が必要な重要橋梁の耐震化も4割台にとどまっています。宅地造成の現状調査や液状化対策についても「国の動向を注視する」と手をつけていません。

 「住民の暮らし、安全と健康を守る」という地方自治の本旨を実現する自治体づくりが求められています。普段から日々の市民の生活支援につながる施策を優先させる福祉に強いまちづくりが必要です。

 また、原発問題について門川市長は「原子力発電所による放射能の問題について、京都市域にはあまり大きな影響はないわけですが(4月20日記者会見)」との認識を示し、今年5月の市会では「停止中の原発は稼動させない」との考えはあるかと聞かれても答えず、「安全神話は崩壊した」との認識も持ち合わせていないことが明らかになりました。京都市地球温暖化防止計画が原発を前提としていることの見直しも示そうとしていません。左京区久多地域は福井県の高浜原発から30キロの位置に接し、京都市域は80キロ圏にすっぽり入ります。京都の命の水がめである琵琶湖全体もこの圏内に入り、琵琶湖の最も北の地域は敦賀の原発から30キロに位置しています。国民の7割以上が原発の縮小・廃止を求めている今、原発からの撤退と自然エネルギーへの転換を実現する新しい京都市政こそが求められます。

(2)門川市政の3年間の評価と特徴

①市民のくらしを守るべきときに、その公的責任を放棄

 この3年間、地域経済と地方自治の深刻な危機が進行しました。一昨年の政権交代に多くの国民は自民党政治の転換を強く期待しました。ところが民主党政権の「地域主権改革」なるものも結局は自民党がすすめた「地方分権改革」を引き継いだもので、京都市においても「構造改革」の名による新自由主義の経済政策が住民の福祉とくらしを破壊し、中小企業、地場産業に打撃を与えるなど、自治体と地方経済の危機がいっそうすすみました。また、三位一体改革では過去5年間で500億円もの地方交付税の一方的削減で、財政危機が大きく進行しました。

 こうしたもとで自治体が住民の福祉とくらしを守る責任を果たさなければならないにもかかわらず、門川市長はこの3年間、国の「構造改革」を受け入れ、前市長の市民負担増の市政運営をそのまま引き継いできました。市長選挙の出馬表明にあたって当時の記者会見でも「乾いたタオルを絞るような、さらなる行革も必要(2007年12月16日)」と述べ、選挙直後の議会でも「行革をさらに加速することが必要。地域主権の時代の新しい自治のモデルを構築するためにも市民の負担はさけて通れない」と発言するなど出発から市民犠牲を公言しました。2009年2月に公表した「京都未来まちづくりプラン」では、40年近くにわたって民間保育園の運営と保育士などの処遇を守ってきた「プール制」(民間保育園給与等改善制度)への補助金削減を打ち出しました。また、12月には京都市財政有識者会議を設置し、首相官邸で小泉構造改革を「お手伝い」したとする副市長を通じて「小泉内閣の経済財政諮問会議の財政を議論していただいたときのような議論を」と注文をつけるなど「行革」作業に取りかかりました。

 その後、毎年の国保会計が黒字なのに、国保料の3年連続15億円超の値上げ、民間保育園の補助金5億円削減、全国に例がない市立看護短期大学の廃止、市立2病院の独立行政法人化、市立芸大の法人化、保健所の医師配置の義務付けのない保健センターへの改変と統合、3箇所の休日診療所の廃止、人権否定の「空缶持ち去り禁止条例」の制定などくらしの重要分野の公的責任を次々と投げ捨てました。一方、財政危機を言いながら、京都高速道路計画を撤回せず、全国でも見直しが相つぐ「焼却灰溶融炉」の建設を強行してきました。

 国民健康保険料と介護保険料合わせて最高額は年間77万円となり、保険料負担額は所得300万円で4人家族の場合、45万3700円と19政令市の中で上から4番目の高負担となっています。国民健康保険証の取り上げや滞納世帯に対する差し押さえも、前市長時代よりもさらに強化しています。広島市やさいたま市のように「資格証明書は発行しない」と努力をしている自治体があるもとで、市長は、国保料の滞納世帯から保険証の取り上げをすすめました。滞納のある5万世帯に対する短期証交付や資格証明書の発行による正規の保険証の取り上げ総数は20402世帯(2010年度)にも及び、この10年間で2倍にもなっています。滞納世帯に対する差し押さえについても2008年756件、2009年度1390件と急増しています。

 安倍内閣の「内閣教育再生会議」委員の経歴をもつ門川市長は、全国でも突出して学校統廃合をすすめ、市内中心部で、児童が1000人を超えるマンモス小学校や人口5万人規模に中学校が1つしかない地域もつくりだしています。学校設備でも新たな格差を生み出しました。自校方式の給食が行われている中学校は3校に過ぎず、ほとんどの中学校は、業者の弁当か自分の弁当かの選択制のままです。また前回の市長選挙で大きな問題となったアルマイト食器についても、磁器食器に改善された小学校は173校中18校にとどまっています。

 民間保育園に対するプール制の形骸化と補助金削減についても保育園関係者からは京都の優れた保育が失われようとしていると強い批判の声があがっています。看護短大廃止についても存続・拡充を求める運動が続いています。敬老乗車証の交付率も2004年に対象となる7割の市民が敬老乗車証を受けとっていましたが、2010年には5割にまで後退しました。市民要望の強い子どもの医療費の無料化について「検討はすすめる」とするものの、子どもの医療費の無料化制度は、府内の自治体の中でも最も遅れたままとなっています。市民の各層で市政と市民生活との矛盾がいっそう広がっています。

②まちづくりー財界要望にそった新たな京都壊し

 門川市長のもとで、財界の要望に応えて京都の良さを壊す動きや景観規制を逆流させる動きが起こっています。

 門川市長は、京都駅周辺のヨドバシカメラやイオンモールなどの東京資本誘致で、市内の商店街、中小零細小売業の衰退をさらにすすめました。また、市民の7割以上が反対した梅小路公園の水族館問題では前市長時代からオリックスとの密室協議をすすめ、京都市公園用地を通常の半額程度で提供するなどの特別扱いで、工事着工を許可しました。さらに、岡崎地域では規制緩和や商業施設の導入など財界が強く要望している「総合特区」と民間活力導入をベースに再整備を構想しています。その中で出てきた京都会館再整備では、公開した増改築案とはまったく別の、第一ホールの全面建て替えをロームとの間だけで決めてしまうなどすすめ方も異常です。

③伝統・地場産業、中小企業、雇用の深刻な実態を放置

 市内の伝統・地場産業、中小業の衰退は深刻です。5年毎に行われる企業統計調査でも2001年以降、市内の事業所数、従業員数は減少の一途をたどっています。また、2009年の中小企業経営動向実態調査では7割近くの企業が経営実績は悪化したと回答しています。西陣では出荷額はピーク時の13%(2010年)にまで落ち込んでいます。

 こうした現状のもとで京都市は、大企業に対して、企業立地促進助成制度による年間助成額の8割を助成し、固定資産税を免除しています。一方、中小企業に対しては緊急融資の据置期間の延長や固定費の軽減などを求める声に対して「利子・保証料・固定費は個々の事業者が負担すべきもの」と冷たい姿勢をとり続けています。また、中小企業の融資や経営等の相談についても、倒産防止相談員を1人増員したのみで、もともと行われていた中小企業支援センターによる直接の相談体制に戻そうとはしませんでした。

 若者をはじめ雇用も依然として深刻です。全国の大学、短期大学卒業者の就職内定率は91.1%(2011年3月卒)と過去最低であり、京都は87.8%と全国水準よりもさらに低くなっています。大学のまちに京都にふさわしい、雇用対策が必要です。

 大型店の進出のもとで市内の商店街、中小零細小売業の衰退が大きくすすみました。従業員2人以下から4人規模の小売店舗数の減少率が高い一方で、大型店の売り場面積は増え続け、今では市内全体の50・3%(2011年4月)を占めています。大型店の出店を「規制誘導」するとして「商業集積ガイドプラン(2001年)」をつくりましたが、大型店の売り場面積は、逆に増え続けました。

 東日本大震災を経験したもとで、地域の仕事おこしにつながり、優れた経済波及効果がある「住宅リフォーム助成制度」を求める声が強まりましたが「厳しい財政状況の下、リフォームにまで助成制度を広げることは困難」と冷たく拒否を続けています。

④教育行政のゆがみは頂点に、違法判断にも反省なし

 門川市長が教育長だった時代の京都市教育委員会(市教委)の事業に対して、司法の違法判断が相次ぎました。教育行政をゆがめた市長の責任は極めて重く、市政を担う資格が問われます。

 2005年のタウンミーティング参加者の抽選をめぐって、市教委が特定の市民をはずすよう内閣府に要請し、内閣府も意図的に落選させた事件について、今年3月、最高裁は京都市の上告を退けて大阪高裁判決を支持し、京都市などに慰謝料15万円の支払いを求めました。民主主義の問題として議会でその責任を問われても、市長は「現時点でお答えすることはございません」と当時の教育長、現市長としての当事者責任をとろうとしませんでした。      

 また、校長が推薦する教職員とのみ直接契約をする市教委の「教育改革パイオニア実践研究事業(2002年度と2003年度実施)」に対し、「給与などを条例で定めなければならないとする地方自治法に反する」とする京都地裁・大阪高裁判決を本年4月に最高裁が支持する判断を示し、門川市長に対して7160万円の損害賠償が確定しました。

 門川市長の教育長時代のインタビュー掲載本を公費で購入し配布した事件では、ぐるみ選挙として公費返還訴訟が行われています。議会でも門川市長は「公費の不正執行であるというようなことは私は思っておりません。」と強弁し、居直りました。今年2月の証人尋問でも「配布は市教委の広報活動」「選挙用でない」と市長選挙とのかかわりを否定しました。しかし、同本は、門川市長が立候補表明をした2007年12月に発行されたもので、市長選挙直前の2008年2月に市教委が購入、配布していました。その後の口頭弁論で門川インタビュー記事の素案を市教委の幹部が作成し、他の記事についても市教委職員が加筆していたことが明らかになっています。市長の教育長時代の職務について次々と違法判断が下されたにもかかわらず、どの問題でも自らの責任を明らかにしていません。

 門川市長は教育委員会の中では一貫して「労務」担当職務を歩み、2006年11月の市会では当時教育長として「教育基本法改正に反対する考えはない。」と答弁、法遵守の立場を否定しました。公正・公平な市政運営求められる市長としての資格を著しく欠くものです。

⑤「有識者会議」提言の実行で、さらなる市民犠牲が

 財政危機を口実に、2010年に公表した「有識者会議」提言の具体化がすすめられようとしていることは重大です。この提言は「このままでは夕張のようになる」と市民を脅し、全国水準以上の施策や市の独自施策である福祉事業、市税の軽減制度、施設利用料金の見直しを打ち出しています。具体的には、生活保護の抑制とケースワーカーの削減、敬老乗車証対象者の抑制と自己負担の引き上げ、単身高齢者の市税軽減制度や母子家庭医療費助成の際の所得制限の見直し、消防職員や教育部門の人員削減、改革実行計画の策定とそのための予算の拘束を求めています。すでに2011年度予算では、ケースワーカーの配置緩和が一部において実行に移されています。引き続き全国水準以上の福祉事業を見直すとしています。

(3)市政転換で、生活支援、福祉と防災に強い新しい京都を

①前回の京都市長選挙で何が問われたのか

 前回の京都市長選挙は、「市政刷新の会」の中村和雄さんと門川市長の得票数の差はわずか951票、得票率では0.2%という僅差の選挙結果となりました。門川市長の得票数は有権者総数の14%にすぎません。

 前回市長選挙を前にして、前市長による12年間の「構造改革」市政に住民のくらしの悲鳴が上がり、国民健康保険料の引き下げと国保証の取り上げ中止を求める署名は、短期間に18万人を超えるなど、要求実現を求める市民の運動が大きく広がりました。また、同和特別扱いと職員不祥事の続発のもとで市政不信は一挙に拡大し、不祥事根絶と同和行政終結を求める声が大きく上がりました。また京都高速道路計画のムダ遣い、教育格差の是正や「公契約条例」の制定を求める声や運動が広がりました。

 こうした市民の声に押されて、門川陣営は選挙中から職員不祥事根絶、今後の高速道路計画の「凍結」や市政刷新に言及せざるを得なくなりました。また、当時の桝本前市長が接戦の結果について「医療や福祉への明るい展望が持てない不安感が多くの人にあると思う。希望のある行政を求める気持ちが批判票となってあらわれた」と述べざるを得ないところにまで、追い込んだところに前回の市長選の大きな特徴があります。

 自民、民主、公明の「オール与党」の候補と体制をめぐっても、市民の間から、「相乗りオール与党でいいのか」「2度も教育委員会出身者でいいのか」の声が上がり、オール与党の相乗り政治に強い批判の審判が下された選挙でもありました。

②市政を動かした市民の声と運動の力

 市民の運動と論戦、僅差となった前回市長選挙の結果は、市政の重要問題で新しい変化を生み出しました。この年の2月予算市会では、国民健康保険会計の基金を取り崩し、低所得者世帯を中心とした国民健康保険料の引き下げが実現しました。また学校給食に磁器食器の使用が開始され、新しい机と椅子確保の予算が計上されるなど教育格差是正も始まりました。京都高速道路計画の未着工3路線も凍結となり、雇用問題についても「労働行政は国と府の仕事」としてきた姿勢を変え、雇用担当部長職の設置など新しい動きもつくりました。

 積年の課題であった同和行政終結にむけた大きな変化も生まれました。同和特別扱いと職員不祥事問題では、歴代市長が是正を拒み続けてきた同和奨学金の返済を免除する自立促進援助金が執行停止され、門川市長就任の年度からは予算計上できませんでした。また、同年4月には京都市に「同和行政終結後の行政のあり方総点検委員会」が設置され、2年後の2010年には部落解放同盟の差別糾弾闘争の口実になってきた「同和問題に係る差別の処理に関する取扱い要綱」が廃止されるに至りました。

 同和特別扱いは京都市政全体をゆがめた病根の一つでした。同和選考採用など部落解放同盟に人事まで握られる異常な市政と厳しく対決し、半世紀以上にわたって、市民と日本共産党が共同して、同和行政の終結を求める運動と議会論戦を粘り強く取り組んできました。長期にわたる運動とともに、それを支えた良識ある京都市民の存在と力が同和行政終結の大きな流れをつくりだしました。

 「オール与党」に支えられた市政の悪政をただし、市政を前向きに動かしたのは、市民が市政の主人公の立場で、くらしを守る運動と共同を広げた市民の力です。この間の市政をめぐる最も重要な教訓です。

③市政転換で新しい京都を

 住民のくらしを守り、地域経済を再生させる上でも、住民の福祉の機関としての京都市政への転換は急務です。東日本大震災と福島原発事故を経験して、原発からの撤退を求める声が大きく広がり、また、「構造改革」の市政のもとで市民の悲鳴があがっています。日本共産党京都市会議員団は、市民犠牲の市政を告発し、市民の要求実現の運動と共同の取り組みを続けてきました。「構造改革」市政の継続を許さず、市政転換で生活支援と福祉・防災に強い新しい京都づくりに力をつくす決意です。