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市会報告

井坂博文 議員

07年11月20日(火)

井坂博文議員の代表質問と答弁の大要 07年11月定例市会 本会議代表質問

 私は日本共産党市会議員団を代表して、西野さち子議員、樋口英明議員とともに激動する日本の新しい政治情勢への市長の認識と、3期12年の桝本市政に対する評価および今後の京都市政の進むべき方向について市長並びに理事者に質問します。

市長在任12年間の京都市政における基本姿勢について

 桝本市長はさる10月16日の記者会見において、12年間を総括して「未来に向かって大きく前進し、子や孫の時代においてもいささかも色あせることなく、光り輝き続けるための市政を整えることができた」と自画自賛されました。

 しかし、市長あなたの12年間は「未来に前進し、光り輝き続ける」ものだったでしょうか。第一に、「日本一の行政改革をやった」と言いながら、減らしたと自慢するのは職員リストラであり、一般会計の借金残高は市長在任中で3043億円も膨れ上がり1兆円を突破し、現在市民1人あたり74万円という負担となりました。一方で税金の無駄使いはおさまらず、市内高速道路には七百億円を超える税金をつぎ込み、今後も1450億円を投入する未着工路線の建設に固執しています。まさに借金と「無駄使い」の12年でした。

 第二に、3回の国民健康保険料の値上げで42億円、介護保険料値上げは62億円、家庭ごみの有料化で20億円など、負担増は合計358億円となりました。さらに、生活保護世帯への夏季歳末見舞金や市営葬儀に続いて、無料敬老乗車証を廃止するなど、貴重な市民サービスまで次々と廃止するという、まさに負担増と市民サービス切り捨ての12年でした。

 第三に、市職員の逮捕者は91人、懲戒処分は523人にも及び、昨年策定した「抜本改革大綱」以降も懲戒免職11人と、とどまるところがありません。あいつぐ職員不祥事と同和のしがらみから抜け出せないまま、市民の不信感は増幅し、市民の信頼は地に堕ちた12年だった、と言わざるをえません。

 質問の最初に地方政治における基本姿勢についてお聞きします。国の三位一体改革は地方版の構造改革そのものであります。国の責任放棄である国庫補助負担金の削減と廃止、住民税の大増税となった税源移譲、5兆円もの地方交付税の削減は、地方自治体の運営と住民の暮らしに耐え難い痛みを押しつけてきました。参議院選挙の結果でしめされた構造改革路線への批判は、三位一体改革によって切り捨てられようとしている地方の怒りの声に他なりません。

 7月に全国知事会は「第二期分権改革への提言」を発表し、三位一体改革が分権改革とは程遠い実態であると指摘し、「この間の改革は地域活性化にはつながらなかった」と強く批判しています。全国市長会も10月に「三位一体改革では、自治体の自由度を高めることができず、地域間格差が拡大し、地方における住民サービスに支障が生じる結果となった」と酷評しています。市長は、こういった地方の態度表明に対してどういう立場をとりますか。明確な態度をお聞かせください。

(市長)12年間の市政運営の評価は市民のみなさんに委ねる。逐一反論しないが一方的な決めつけはいかがか。3兆円規模の税源移譲は評価するが、国庫補助負担金改革は地方の自由度拡大につながらず不満の残る結果である。地方交付税の大幅削減、算定方式見直しは大都市に厳しい。19年度の地方交付税が478億円もの大幅な減収となり極めて困難な財政運営である。真の地方分権改革の実現、大都市の実態を反映した地方交付税の確保を強く国に求めていく。本市は全国トップレベルの行財政改革を推進、財源確保で政策実現したと自負している。

 政府は「夕張のようになる」と締めつけて、集中改革プランと「財政健全化法」を押しつけ、財政再建団体転落の基準を厳しくして地方自治体を脅かしています。このようなやり方にいつまでも追随してよいのでしょうか。その一方で、地方政治の流れを見ると、住民運動と国の構造改革路線の見直しを求める声がどんどん広がっています。

 たとえば、来年4月に実施が迫る後期高齢者医療制度にたいして、国民的な怒りが、いま噴きあがっています。75歳以上のお年寄りを、国保や健保から脱退させ、特別の制度に入れて、高い負担と差別的な医療に追い立てるものです。国民の怒りに対して、政府は苦し紛れに負担増の一時的・部分的凍結を打ち出しました。これは制度の破綻を認めたものにほかなりません。ならば、一時的・部分的凍結ではなくて、制度そのものを撤回するのが筋ではありませんか。

 全国では295自治体で凍結や見直しを求める意見書や決議が上がり、自治体の首長からも「不安や懸念」が出され、「国に意見をいいたい」と述べる首長も出ています。広域連合議員の中からも同様の声が広がり、先日開催された第2回京都府後期高齢者医療協議会において、京都府医師会の代表が「この制度をつくる必要があるのか大いに疑問がある。本当はいらないのではないか」と痛烈に批判され、老人クラブ連合会役員からは「高齢者はおちおち長生きしてたらあかんのか」と怒りの声があがりました。

 障害者自立支援法についても、政府は「抜本的見直し」を国民に約束しました。ならば諸悪の根源である応益負担を撤回すべきであります。

 これだけ世論と怒りが広がっている後期高齢者医療制度と障害者自立支援法の応益負担の見直しに対する市長の認識と見解をうかがいます。いかがですか。

(上原副市長)高齢者の被扶養者への保険料負担、地方自治体の負担増加など、制度の創設に伴う新たな課題がある。障害者自立支援法は「京都方式」による負担軽減策を実現。本市は9月市会で議決した「国民皆保険制度等に関する意見書」を踏まえ、国に対し必要な財政措置を求め、本人負担軽減や事業者への報酬改善などの措置を国に求める。

 さて、これまでの政治から転換を図るためには、財源が問題になります。福田首相は「社会保障の安定的な財源を確保するためには、消費税を含む税体系の抜本的改革を実現させる」と述べていますが、あいも変わらず財源というと消費税増税しか浮かばないのでは従来の政治の枠内からまったく抜け出せていません。消費税は、所得の低い人ほど負担が重い逆進性をもち、貧困と格差に追いうちをかける税金であり、社会保障財源として最もふさわしくない税金である、という認識がまったくありません。   

 市長は、9月市会で消費税に対して「安定的な歳入の確保にも資する税であり、役割はますます重要になっている」と福田首相と同様の答弁をされましたが、消費税の増税は中小零細企業や伝統産業の多い京都経済に大変な影響を与えるという認識がまったく見られない、不見識極まるものであります。しかし、冷静に考えれば歳入でも歳出でも消費税に頼らなくても、財源をつくることは十分可能であります。

 第一に、大企業や大資産家への行き過ぎた減税をただすことです。政府統計ではこの9年間で大企業の経常利益は2.2倍にふくらみ、史上空前のもうけをあげる一方で、9年間に納めた税金はほとんど変わっていません。法人税率の大幅引き下げと特権的減税などで5兆円を超える大企業減税をおこなったからであります。さらに大資産家へは株の譲渡や配当にかかる税金を引き下げるなどして二兆円もの減税をしてきました。九年連続で所得が減っている国民には大増税の一方で、空前の利益の大企業や大資産家には大減税。この減税を見直せば数兆円の財源をつくれるではありませんか。

 第二に、アメリカの戦争を支援するための費用をはじめとした、年間五兆円もの軍事費の削減です。軍事費を聖域にせずにメスを入れるべきではありませんか。

 市長、それでも消費税に対する認識を変えるつもりはありませんか。消費税増税に頼らない財源づくりを進めるよう国に求める意思がありますか。明確にお答えください。

(山崎副市長)消費税は、広く公平に負担し、安定的歳入確保に資する税である。少子・長寿化が進展する今日、役割はますます重要。基本的な認識に変わりはない。税制度のありかたは、歳出改革を徹底し、対応しきれない社会保障給付や少子化対策、地方分権の推進などの政策課題にこたえる為に十分な国民的議論を行う必要がある。

市職員の犯罪・不祥事問題、同和行政の完全終結について

 続いて、市職員の犯罪・不祥事問題です。昨年8月の常任委員会連合審査会において不祥事に対する認識を問われた市長は「他都市との比較,あるいは国民全体の犯罪発生率等からいうと,京都市の不祥事件数は,そう大きな数値であると認識していない」と答弁をされました。その答弁に対して発言の真意をただして撤回を求めたところ、市長は「誤解を招く発言であったと反省し、この場で申し上げるのは適切でなかった。撤回したい」と答弁されましたが、その認識そのものの撤回はその後も公式の場ではされておりません。また市長は、昨年「これまでたまったうみを恐れることなく出し切る」として抜本改革大綱を策定されました。その後、うみを出し切り京都市は変わったのでしょうか。

 先日発覚した、親族の死亡と葬儀のうその申請による服喪休暇不正取得は市民に大きな衝撃を与えました。不正に休暇を取得した43人のうち38人が運動団体などの推薦による技能労務職で採用された職員でした。その中で西京区役所に勤務する作業員は、この5年間で10回、昨年の抜本改革大綱策定以降、3回も不正に休暇をとっていたことが発覚し、停職6ヵ月の処分をうけました。区役所作業員の業務内容とは、総務局の資料によれば「文書交換などの文書管理、小修繕などの庁舎管理、湯茶準備などの課内雑務」とありますが、「作業マニュアルはない」ということでした。現場の管理職に聞きますと「一日を通した仕事はない」とのことでした。昨年「月に3日しか運転をしない運転手」を問題にしましたが、同じような職場がいまだに残されているではありませんか。

 臨時議会で市長は、不祥事の背景として「業務に対する意欲向上や達成感が得られにくい技能労務職場の状況」をあげ、「その改革を断行する」と述べました。どこを改革し、どう変わったのですか。あれから1年もたつのに、なぜ作業マニュアルさえ策定されず放置されているのですか。達成感が得られない職場でどうして職員が意欲と熱意をもって仕事ができるのですか。そういう職場が今回の不祥事の温床になったのではありませんか。区役所のある幹部が「現場では事を荒立てたくないという雰囲気がある」と率直に述べていました。そういう事なかれ主義がいまだに残っているではありませんか。

 そのことは、市職員の保育料滞納と時効による不納欠損扱いにも示されています。昨年11月に発覚した市職員の保育料滞納は37人、そのうち5年以上経過して今回時効となり請求を放棄した職員は13人。その中で、保育料の同和減免を受けていた職員が11人でした。滞納した職員の公務員としての倫理観の欠如と同時に、徴収する現場で同和を意識して納入を督促することを躊躇することはなかったと言いきれますか。市民は怒っています。市長が本市独自に「懲戒免職処分者は再び市職員に採用しない」と決めたように、時効になった滞納分を市長の権限で請求できるようにしたらどうですか。

 人事権を運動団体に丸投げした同和選考採用に始まり、採用後の研修と指導も不十分、その結果職場の服務規律が乱れても対策を打たない「甘い体質」、この一連の流れが不祥事の背景にあること。教育委員会時代からそれを一番引きずってきたのが市長あなたであること。そのことを率直に認めますか。

(市長)採用時点とその後の「甘さ」が不祥事を発生させやすい組織風土をつくりだしてきたことは「抜本改革大綱」で示している。運動団体との交渉を全廃、職免、補助金の廃止を断行。現在では不正常は一切ない。「大綱」に掲げる64の改革策を進めてきた。服喪休暇不正取得のように、ごく一部の職員に課題が残っているのも事実。

 あわせて同和行政の完全終結についてお聞きします。市長は「凛とした姿勢で特別対策としての同和対策事業は終結した」と言いますが、そうでしょうか。そこであらためて同和行政とはそもそも何なのか、を検証してみたいと思います。国は、1965年の同和対策審議会答申において「同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程において形成された身分階層構造に基づく差別により、最も深刻にして重大な社会問題である」と規定しました。そして、1969年に同和対策事業特別措置法を制定し、地域と期間を限定して一般施策に対する特別施策として「国及び地方公共団体が協力して目標を明らかにし、目標の達成のために特別な措置を講じる」として世に言う同和対策事業が始まり、2002年の特別法失効まで30年以上にわたって続けられました。

 このことが結果として「差別は存在する。差別がある限り同和行政は必要である。行政には同和対策を無限におこなう責任がある」という無限責任論が行政を呪縛し、運動団体を窓口に問題を解決する「運動団体対応主義」がはびこりました。一方、住民は「行政に頼めば何でもやってくれる」という行政依存の姿勢を強め、自立を阻害されてきました。このことが今日まで同和行政を固定化し継続させてきた最大の要因であり、同和選考採用制度や同和補助金不正受給、公共事業入札をめぐる不正や談合疑惑、そして職員不祥事の背景にある「同和利権」「解放同盟特別対応」をつくりだす温床になってきました。このことをきちんと総括しない限り、同和行政をめぐる不正常な事件にメスを入れることも、不祥事の根絶もできません。

 本市の同和行政のゆがみを正し、完全に終結させるためには、行政の責任と限界を明確にして市民への説明責任をはたし、運動団体との癒着となれ合いを断ち切って、残された事業を再点検し、きっぱりと廃止することです。

 具体的にお聞きします。京都市が同和奨学金の返済を全額無審査で肩代わりしていた自立促進援助金支給は違法であるとして「市民ウォッチャー・京都」が桝本市長らに損害賠償を求めていた訴訟は、9月25日の最高裁において京都市の上告を受理しないと決定されました。その結果、「なんら審査しないという取り扱いは公益に反し、地方財政の基盤も危うくし、市長の裁量権の逸脱である」と、市長らに2044万円あまりの賠償を命じた大阪高裁判決が確定し、京都市の違法な公金支出が司法の場で断罪されました。

 市長は今年の2月市会市長総括質疑でこの制度を同和対策事業であることを認め、「進路支援事業を一から見直すということになると,信義誠実の原則に反する」とかたくなに事業の継続を固執する答弁を繰り返してきました。この自立促進援助金制度は、今年度予算でも3億円。今後2029年まで続けられ、総額で40億7千万にもなります。市民には負担増とサービス切捨てを押しつける一方で、同和の特別扱いを継続する。こんなことが許されるでしょうか。

 大阪高裁判決と最高裁の決定を真摯にうけとめ、判決に従いますか。その上で、自立促進援助金制度を廃止し、返済の能力と条件のある人には奨学金の返還を求めるべきです。いかがですか。

(星川副市長)判決内容は、13年、14年度支給分の一部については裁量権逸脱があったとするもの。すでに市会の指摘も踏まえ16年3月に支給要綱を改正。16年度以降は所得証明書など客観的資料の提出、支給基準を上回る者からの返却を見直している。今後は改正した支給要綱で厳正な判定をし運用する。現在係争中の訴訟の動向を踏まえ、必要があれば制度見直しを検討していく。

旧同和地区の市営住宅にある駐車場料金について

 次に、旧同和地区市営住宅にある駐車場料金についてうかがいます。北区の市営住宅にある駐車場において、駐車場管理委員会が利用者から徴収する料金は今年4月で、屋内2500円、屋外2000円、新棟は3500円となっていました。ところが今年の10月に新棟駐車場利用料金を2500円に引き下げたというのです。その理由を「同じ住宅内の他の駐車場との均衡、管理委員会のプール金が2千万円を超えていること」をあげています。

 住宅室に問い合わせたところ、新棟の家賃最高額区分は11万5千円でした。この駐車場のすぐ隣は一般の住宅であり、一番近い民間駐車場の月極め料金は1万円でした。

 どう思われますか。住宅内での均衡を考える前に、一般公営住宅の料金や周辺駐車場との均衡、住民の目線で料金のあり方を考えるべきではないでしょうか。駐車場区画を管理し、利用料金の徴収をしているのは管理委員会です。しかしその目的外使用を認め、土地使用料を徴収しているのは京都市ではありませんか。

 長年にわたって民間駐車場との格差を温存し、今回さらに広げている実態を直視し、公営住宅並みの料金に改善し、特別扱いをやめるように求めます、いかがですか。

(都市計画局長)住宅地区改良法では駐車場を住宅の共同施設として位置づけていない為、地元管理組織等に対し目的外使用許可を行い、使用料を徴収している。公営住宅の駐車場は、公営住宅法の改正をうけ住宅の有料付属施設として位置づけ、13年3月に条例改正し使用料を徴収。法的位置づけが異なることで生じているが、使用形態が類似しており公営住宅と同一料金体系となるよう検討を進める。

公教育の原点に立ち、格差や特別扱いのない教育行政を

 続いて、本市の教育行政についてお聞きします。市長も教育長も京都の教育を語る際に「日本一の教育改革」とおっしゃいますが、私はマスコミも利用したスポットライトの光の陰で「教育格差」が広がり、苦しむ子どもや保護者、教師の姿を実感します。

 まず、教育長は9月市会本会議で「格差や一部の学校の特別あつかいは断固ない」と胸を張って答弁されましたが、ほんとうにそうでしょうか。たとえば、御所南小学校では児童数840人で教員数は38人です。その一方で同じマンモス校の太秦小学校は児童数993で教員数は御所南よりも少ない36人しかいません。京都府の配置基準は児童数と学級数を基本に配置されていますから、この違いは市教委が恣意的に加配をつけて御所南小学校を優遇しているといわざるをえません。

 また、党議員団が8月に行った学校調査で判明した下京中学と他の学校との格差の実態には驚きました。同じ中学校でも、今年新設の下京中学と比較して古くて歴史ある学校は、安全の命綱である防災シャッターの自動作動装置が壊れて機能せず針金で固定されていました。雨漏りが激しく図書室の壁が剥がれおちて図書にかかったままで放置されていました。新入生用に購入した新品の机とイスも全員分に足りないため、全部揃うまで廊下に積み上げられていました。

 教育改革のモデル校には一点豪華主義で予算を投入し、一部の子ども達だけがいい条件で勉強できて、他の学校の子ども達には教育環境整備の計画も見通しもなければ、これこそ教育格差の典型ではありませんか。それでも格差や特別扱いはないと言い張るのですか。ただちに格差の解決を図るよう求めます。お答えください。

(教育長)中学3年の30人学級、小学校1・2年の35人学級、専科教員の配置、普通教室冷房化、学校施設の約8割の耐震化、校内LANの全校整備、図書館のコンピューター化を進めている。全国から高く評価され指摘のような格差や一部の学校の特別扱いはない。統合を積極的に推進しているが、全面改築や大規模な耐震化等の課題を抱える古い校舎がほとんど。統合による効率的財政支出で全国のモデルとなる学校をつくった。学校施設の維持・修繕、机・イスの整備等は教育活動に支障がないように対処している。

 43年ぶりの「全国いっせい学力テスト」の全国結果が先日、公表されました。「学校の序列化と過度の競争が生じる恐れがある」として文科省が全国に通達を出し、京都市教育委員会も、結果を公表しないとしております。そもそも多くの反対を押し切って全員参加の調査を強要し、他の学校との比較が可能な仕組みを作っておいて、いまさら「序列化につながらないように」と強調するのは本末転倒であります。

 市教委は「全国いっせいテストの目的は、全国や京都府の状況と比較して自分の学校の状況がわかり、個々の児童・生徒の指導改善に生かせる」とくりかえし説明してきましたが、全国と比較するのであれば抽出調査で十分ではありませんか。「個々の指導に生かす」といいますが、学校と子どもたちに返されたのは正答率と設問ごとに○か×という結果の一覧表だけであり、記述問題に対してもコメントがあるわけでもなく、答案そのものが返却されていないので「なぜ×になったのか」「個々の生徒がどこにつまずいたのか」という分析もできず、「何の役にも立たない」というのが先生と子どものリアルな声であります。 

 テストの結果によって学校の評価や教員の指導力評価に結びつけ、競争を煽り立てるようなことになれば、東京都足立区に見られるような不正や新たな格差が広がるだけではありませんか。

 総額90億円もの巨費を投入しておこなった学力テストはもうやめるべきです。来年は実施しないようを国に求めつつ、少なくとも京都市は参加しないように強く求めます。いかがですか。

(教育長) 全国学力テストは、子どもの学力実態、教師の指導力向上に有意義。結果の公表・活用は学校の序列化や過度な競争にないように配慮されている。調査結果は、課題を保護者とともに共有し、家庭学習の定着にとりくむ。今後も全国調査に参加し、本市独自の「学力定着調査」「学習確認プログラム」とあわせて学力向上に傾注していく。

 次に、教育委員会が導入しようとする新しい高校通学圏と入試選抜制度に関してお聞きします。京都市内と乙訓地域の公立高校の通学圏を南北の二つにし、従来の総合選抜制度は残すものの、対象は1類の7割に枠を縮小するものです。今回の見直しについて市教委は「受験機会を拡大し、行きたい学校の選択幅を拡大する」と説明していますが、実際には「部活動や生徒会活動による希望枠」や「作文・面接による特色選抜」を通学圏をこえて、受験する機会が増えるだけで、合格する保証はまったくありません。

 さらに受け入れる高校の側も「志願してもらえるような特色=クラブ活動、大学進学率アップ」や、定員割れしないように中学への受験お願いの営業活動に力を割かれ、本来の教育活動や授業に支障をきたすのではないかと、懸念する声が広がっています。

 すでに先行実施した山城通学圏では特色選抜試験の競争が激化し、この試験で初年度1198人、4年目の今年861人もの不合格者を生み出し、子どもの心に深い傷を与えています。今回の市内・乙訓地域の見直しによって同様のことが起きないと言えるのですか。  

 文教委員会で、その時の挫折を「15の春を泣かせていいのか」と指摘すると「子どもは挫折を乗り越えることで成長する」と開き直りの答弁が繰り返しありました。そこに、競争をあおり、高校のランク付けと格差を容認する市教委の本音と制度見直しの狙いがあります。拙速な制度見直し方針を撤回し、子ども、保護者、教員の意見を十分に聞き、どの高校に行っても確かな学力と発達を保障するという本来の公教育の原点にたった制度を確立するよう強く求めますが、いかがですか。

(教育長)4月から5回の懇談会、市民説明会等を実施。現行4通学圏を2通学圏へ再編。「面接・作文」での特色選抜、通学圏を超えて志願できるシステムの導入。これまで以上に希望する高校を選択できる。一方で地域の公立高校にも入学できる総合選抜を全国で唯一維持する入試制度とした。

アメリカの報復戦争支援のための海上自衛隊派遣について

 質問の最後に、延長された国会審議において注目されているアメリカの報復戦争支援のための海上自衛隊派遣問題に関して伺います。現行テロ特措法が11月2日午前零時に期限切れになり、インド洋で米軍艦船などに給油活動をしてきた海上自衛隊の艦隊が撤収しました。憲法に違反して海外に派遣された自衛隊の部隊が、国民世論を受け、政府の方針に反して、撤収されるのは初めての歴史的出来事であり、国民の世論と運動による画期的成果であります。

 そして、一連の経過やアフガンやイラクの現状をみれば、戦争でテロはなくせない、ということがはっきりしました。この動かしがたい事実をまず認めることです。新テロ特措法案はそこから目をそむけて、アメリカがテロの報復として始めた戦争を軍事的に支援すると同時に、テロを世界に拡散し、テロと武力報復の悪循環を助長するものにほかなりません。

 いま日本がやるべきことは、(1)いかなる形であれ、自衛隊派遣を中止すること(2)アフガンで開始されている政府と反政府勢力との包括的な和平合意の努力を促進する国際環境をつくるための外交努力をはかること(3)貧困と飢餓をなくすなどの民生支援を抜本的に強め、テロの土壌を取り除く努力をはかること、であります。これこそ憲法にそくして日本が果たすべき責任ではないでしょうか。

 そこで市長にお聞きします。「憲法の平和理念をしっかり守る」と常々発言されていますが、そうであるならばテロが拡散している事実、「戦争でテロはなくせない」という事実を認めますか。自衛隊派遣について賛成ですか、反対ですか。明確な答弁を求めます。

 市長あなたの12年間の最後の本会議答弁です。真摯な答弁を期待しまして第一質問とします。

(上原副市長)テロ行為は国際社会の平和と安全を脅かし断じて許されない。テロの原因は千差万別であり根絶のための決め手はない。国際社会が結束し人道復興支援など、国際的な法的枠組みの強化、大量破壊兵器の不拡散などが必要。自衛隊派遣は、「国際平和協力法」「イラク特措法」「テロ対策特措法」により行われてきた。平和を都市の理念とする私どもは、テロのない平和な社会実現を強く願っている。

第二質問

 参議院選挙が示した国民の民意とは「国民の声で政治が動く」ということです。この新しい政治の流れに水を差し、民意を裏切ったのが福田首相と小沢代表による大連立の密室協議でした。協議は結局物別れに終わりましたが、国民不在、民意無視の連立協議の経過については、国民にきちんとした説明もなければ、民意を裏切ったことへの謝罪は一言もありませんでした。

 市長の答弁においても、指摘した12年間の真摯な総括や反省の言葉はありませんでした。

 今の京都市政を刷新するのか、継続するのかが鋭く問われています。質問の冒頭で指摘したように、「暮らしと福祉を応援する市政への刷新か、ムダ遣いと暮らし破壊の継続か」「同和特別扱いを断ち切る市政刷新か、同和の利権としがらみを温存する市政の継続か」を市民は注目しています。

 日本共産党市会議員団は、市民のみなさんと共同し、市政刷新に全力をあげることを表明し、私の質問を終わります。