さとう和夫 議員
06年9月13日(水)
佐藤和夫議員の質問と答弁の大要 06年9月定例市会 本会議代表質問
生活保護行政の改善を
私は日本共産党市会議員団を代表して市長並びに関係理事者に質問します。
去る2月1日早朝、伏見区納所の桂川河川敷の遊歩道でおこった殺人事件、すなわち86歳の認知症の母親をかかえ仕事を失った54歳の男性が、同意の上で母親を殺害したいわゆる「承諾殺人」事件に多くの市民は衝撃を受けました。
裁判で明らかになった、事件の経過はおおむね次のとおりです。
京友禅の糊置きの仕事をしていたKさんは、呉服産業の不況のあおりで失業し、その後は派遣会社などで働いていました。昨年の4月頃から母親の認知症がすすみ昼と夜が逆転し目が離せなくなりました。6月にはKさんが仕事で留守のときに警察に二度も徘徊で保護されました。7月には介護保険でデイサービスを受けられるようにし、Kさんは介護と両立する仕事を探すため休職し、ハローワークにも通いました。適当な仕事はみつかりませんでした。9月には、会社を退職し母親の介護を続けていました。7月の休職期間中から9月の失業保険を受ける間に、生活の先行き不安から、福祉事務所に生活保護の相談に3回行きました。母親の年金月額25,000円は週2回のデーサービス利用料で消え、失業給付金もアパートの家賃を支払うと手元に2,3万円しか残りません。福祉事務所の窓口では、仕事を探しなさいとか公的貸付制度の紹介だけで、相手にされませんでした。昨年12月には三ヶ月の給付期間の失業保険が切れました。年が明けた本年1月末には2月分の家賃も払えなくなりました。1月31日、とうとう追いつめられたKさんは親子心中を決意し、母親を車椅子に乗せて、新京極など市内の思い出の残る地を周り最後の親孝行をしました。河川敷の遊歩道で家に帰りたがる母親に「もうお金もない。もう生きられへんのや。ここで終わりやで」と心中をほのめかすと、「そうか、あかんか。おまえと一緒やで」と母親は答えました。「すまんな、すまんな」とあやまるKさんを母親は車椅子の上から抱き寄せ額と額を寄せ合いました。Kさんは後ろから車椅子の母親の首をタオルで絞め、自らも包丁で頸を切って自殺をはかろうとしたのです。
本年7月21日の地裁の判決文は、「結果は重大だが、行政からの援助を受けられず、愛する母親をあやめた被告の苦しみや絶望感は言葉で尽くせない」とし、「日本の生活保護行政のあり方が問われているといっても過言でない」と指摘しました。少なくとも昨年12月に失業保険が切れたときに生活が急迫することは、福祉事務所は充分知りえたはずですから、なぜ、職権保護の手続きをとれなかったのでしょうか。裁判で証言した地域包括支援センターのケア・マネージャさんもケースワーカーが家庭訪問していれば生活実態の把握で方向性が見出せたはずと言っておられました。まさに、行政の不作為責任も問われたのではないでしょうか。
この事件を報道で知った伏見区の生活と健康を守る会の淀・納所班の会員さんや近所の人たちは、判決に先立ち温情ある判決を願うための嘆願署名をあつめ裁判の傍聴も呼びかけました。この事件に多くの市民が心を痛めたのは、措置制度から契約制度にかわった介護保険制度の矛盾のしわ寄せを受け、しかも生活に困っている人を助ける最後のセーフティネットが機能しなかったことによる、ある意味では、Kさんは被害者ではないか、現代の姨捨山の話と受け止めたからです。
では、なぜ生活に困っている人が生活保護の申請をできなかったのでしょうか。
新聞の記事によれば、福祉事務所は「あくまでも本人からの申請主義なので要件が整った時にきてもらわないと、こちらからは申請してくれとは言えない」とし、「福祉に相談してもだめだと思ったのは受け手の問題。ルールにしたがって適正に対処」と突き放しています。54歳なら稼働年齢層、「がんばって働いてください」と仕事探しをアドバイスし、あるいは公的な貸付金制度の紹介に振って、生活保護制度に問題を持ち込ませないようにしていたのです。一般的にいうと、福祉事務所の面接担当者は生保の申請行為もしていないのに、生活に困まって相談に来た人に生活保護の要否判定の時点ではじめて必要となる資料の提出をあれこれ求めます。生活に困って気持ちが切羽詰っている人に生活保護の申請をする前に、困窮していることが本当かどうかの証拠の提出を求め、困窮に対する自己責任を問う指導・助言をすれば、誰だって相談だけであきらめるものです。生活に困っている人が生活保護の適用を受けるには、福祉事務所に相談するだけだなく、まず申請行為が必要となることを福祉事務所は教えないようにしているのです。平成16年度では市内の福祉事務所全体の相談件数16,944件に対して申請件数4,368件がふるいにかけられた数字です。そして、本件の場合は申請がなかったから対応のしようがないと開き直っているわけです。
この間、小泉構造改革による雇用の破壊、年金制度の改悪などで貧富の格差は拡大し、生活保護の受給は100万世帯を越えました。国は財政難を理由に生活保護費の国庫負担率3/4を1/2への引き下げを打ち出そうとしました。地方自治体は、地方への財政負担増に反対し生活保護制度の抜本改革を国に求めました。これを受け、本年3月、国は「生活保護行政を適正に運営するための手引き」という通知を出しました。生活保護率を押さえ込むために、保護申請時の調査や検診命令などの徹底による稼働年齢層やいわゆるワーキングプアを排除する水際作戦の徹底、また生保の受給者への就労指導の強化、特に母子家庭などから自立助長推進世帯を選び出し自立援助プログラムを強要するなど、一層締め付つけるという内容です。
まさに、この承諾殺人事件で裁判で問われた福祉事務所のあり方とは、「生活保護行政を適正に運営するための手引き」政策を先取りしていることを、問わず語りに物語っているのではないでしょうか。そう、完璧な水際作戦です。
そこで、質問しますが、この母親承諾殺人事件を通じて生活保護制度のあり方が裁判所から行政は説諭されたましたが、市長は生活保護制度が社会保障制度の最後のセイフティネットとして機能しなかった点に心が痛まないのですか。今後、こうしたことが二度と起きなくするため生活困窮者の申請権の侵害をしないよう「利用しやすく出しやすい生活保護制度」への運用改善を図るべきですが、いかがですか。お答え下さい。
〈答弁→上原副市長〉 伏見福祉事務所に数回来所されたが、生活保護の適用が困難なため、他の施策を紹介し、各種の手続きについて各課が連携して対応した。生活保護の説明が結果として十分に理解してもらえず、将来的にも生活保護がもらえないと思い込まれたことは残念に思う。今後、このような事件が二度と起こらないよう、反省すべきは反省し、きめ細かい対応に努めていきたい。
向島地域にコミュニティ・バスの導入を
全国のニュータウンで小子化や高齢化に伴い団地再生問題がクローズアップされています。伏見区の向島ニュータウンでも同様です。
「向島地域にコミニティバスを走らせる会」のおこなった350通のアンケート調査では、どんな時にコミバスがあればいいと思いますかの問いに、川向こうの区役所や病院や買い物などをあげて、回答者の約80%が利用するとしています。現在ある私鉄系のバスは団地内周回路の運行であり、近鉄向島駅への接続だけを目的としています。それだけに地域社会の高齢化の進展とともに生活圏をきめ細かく回る敬老乗車証も使えるコミバス運行への期待が高まっています。
そこで質問しますが、京都市基本計画の行政区版では、11行政区のうち8つの行政区計画でコミバスの要望があります。都市計画の立場から真剣に受け止め、検討すべきですがいかがですか。
また、伏見区向島地域のように初めから市バス路線の圏外にされ、私鉄系中型バスの路線の中で利用者の時間帯に応じた柔軟な路線設定などは困難で、こうした地域こそ小型地域循環バス・いわゆるコミバスの導入が必要と思いますが、いかがですかお答え下さい。
〈答弁→都市計画局長〉 多額の初期投資が必要で、利用率や採算性の問題から運営主体の経営を圧迫する事例も多く、導入にあたっては十分な検討が必要。機運の高まった地域で、地元の自主的取り組みに情報提供などの支援をしていきたい。
景観破壊・まち壊しに手を貸してきた市長の責任は重大
本年、4月に市長は、「時を越え光り輝く京都の景観づくり審議会」の中間とりまとめを受け、早急に市街化区域全域で高さ規制の見直しに着手するとし、本年度中に都市計画の手続きを行い、平成19年度の早い段階で新しい高さ規制をするとしました。とりわけ歴史的都心としてのいわゆる「田の字地区」については、幹線道路地区は現行45メートルの高さを31メートルに規制し、職住共存地区は31メートルから15メートルの規制に転換するというものであります。
私は1980年代のはじめから、酒蔵と町家のある伏見の歴史的町並み景観を高層マンションの建築による破壊から町並みを守るまちづくり住民運動にかかわってきましたが、京都のまちづくりのキーワードに「ダウンゾーニング」、すなわち大景観としての盆地のスカイラインを生かすために建築物の高さ規制を打ち出したことに改めて感慨を禁じ得ません。ここにいたった歴史的な転換には、これまでの景観を守るまちづくり住民運動が大きな役割を果たしたものと確信するものです。
同時に、京都の景観やまちづくりにかかわる住民運動の関係者から、90年代の当初に住民運動側からダウンゾーニングが再三提言されたにもかかわらず、耳を貸さなかっただけでなく、建築規制の緩和策によりバブルをあおり都心部での再開発ラッシュの引き金をひいた行政の責任、とくに、都心再生のためと称して総合設計制度による高さのボーナスを与えつづけてきたことの行政の責任、すなわち今日の町並み破壊をもたらした行政の責任は一体どうなるのか、という声が市民から上がっています。そこで問題となるのが、日本建築学会や景観審議会の中間とりまとめでも指摘されているとおり、ここまで京都の景観の危機をもたらした桝本市政の行政としての責任についてです。桝本市政の10年間、とりわけ1999年から05年末までの間に限っても、今回「歴史的都心」と位置づけられた「田の字地区」では、10階以上の建築物は114棟も建設されてきたのです。
そこで、今回の「建築物の高さ規制の見直し」について、遅きに失したことに対する反省があってしかるべきですが、いかがですか。80年代のバブルの引き金となった建築規制緩和とバブルがはじけた90年代の長期不況期の打開策としての「都市再生」に名を借りた一連の建築規制緩和こそ、京都の町並み破壊の元凶であったことは、今や明白です。まず京都のまち壊しの原因をどのように認識しているのか、お答え下さい。
〈答弁→桝本市長〉 今日なお、忍び寄る景観破壊が進行する深刻な現状を憂慮し、景観政策の歴史的転換を決意した。時間との戦いの中で、歴史都市・京都に住む者として、市長の責務として、不退転の決意を持って、この取り組みを何としてもやりぬく決意である。
京都タワー・京都駅ビルは残すべき景観リストから除外すべき
また、景観審議会では、田の字地区の高さ規制とともに、守るべき眺望景観につても論議をすすめています。京都らしく感じる景観を守るために、本市がこれまでの守るべき眺望景観としてリストアップした158カ所の案では、この間、第一次景観論争となった「京都タワー」や第二次景観論争の「京都駅ビル」などを残すべき眺望景観としています。また、80年代のバブル期の地価高騰をリードした総合設計制度で高さのボーナスを与えた「京都ホテル」などの高層建築物は今や既存不適格建築物の典型であるはずです。
そこで質問しますが、京都市が本気で眺望景観を守るというなら景観を阻害している京都タワーや京都駅ビルなどは残すべき景観リストから除外すべきですが、いかがですか。
〈答弁→都市計画局長〉京都タワーや京都駅ビルは市民のご意見によるもの。このリストは、幅広い審議のため、出来るだけ多くの対象をリストアップしている。
都市再生緊急整備地区計画を見直せ
これまで、京都の都市計画では、都市軸を北部保存、都心再生、南部創造と位置づけてきました。南部の創造についても開発なら何でもありの考え方は見直す必要があります。もともと都市再生緊急整備地区制度は、5年前、発足当初の小泉内閣が「総合デフレ対策」として「都市再生」を名目に打ち出したものです。中身は従来型の大型公共事業を継続するだけの看板の塗り替えにすぎませんでした。バブル期の再開発計画が頓挫し「民間都市開発機構」に塩漬け土地を抱えさせてきた京都駅南口地区、或いは進出企業が思うように集まらない伏見区の高度集積地区、撤退した大企業の遊休地であるキリンビール工場跡地地区などに「都市再生」のお墨付きを与え、都市計画や資金調達上の優遇措置など開発のための特権をあたえたものです。
しかし、この間まちづくり三法の見直しにより大型商業施設の郊外進出を規制し中心市街地の活性化をはかることが提起され、都市規模のコンパクトシティ化への切り替えが本市の都計審でも問題にされています。不況対策ならなんでもありの「都市再生緊急整備地区」による開発手法は見直し、長期的なまちづくりの観点からやり直すべきです。
また、この間「景観法」の施行に伴い本市としても京都市景観形成計画を策定しているところですが、世界文化遺産を擁する都市としての都市景観をつくる観点からも、建築物の単体としての景観チェックだけでなく京都の全体景観をどうつくるのかの観点も求められるはずです。
このままでは大企業のもうけ本位の「民間からの提案」を理由に都市計画の変更を住民参加も排除してすすめるだけです。
改めて「都市再生緊急整備地区」指定は一から見直し、本市が都市計画全体に責任をはたし、市民的な論議をすすめるべきですが、いかがですか。
〈答弁→毛利副市長〉 都市再生緊急整備地域の指定は、南部創造のまちづくりに必要な措置。引き続き、各地域における整備方針をふまえ、南部の拠点としてふさわしい都市機能の集積と魅力ある都市環境の形成に努めていく。
京都市国民保護計画の策定はやめよ
国の国民保護法の制定に伴い、本市も国民保護協議会条例などを制定しました。我が党議員団は、そもそも国民保護計画は「平時」から「戦時」を想定し、すべての行政機関をつうじて国民を「戦争に動員できる体制」づくりとして反対しました。
いま全国的には市町村段階での6月議会では、沖縄県では条例制定は39%台にとどまり、しかも制定した16自治体でも「太平洋戦争の地上戦の経験から、住民に抵抗感がある」と慎重姿勢を示しています。それ以外では沖縄市、宜野湾市、嘉手納町、読谷村などでは9月議会への条例提出のめどすら立っていません。米軍再編の中で基地を抱え、国民保護計画策定の狙いが住民にも透けて見えるからです。また、全国的にも継続審議となっている自治体も8市町村あります。これらの議会では、「戦争を助長しかねない」「慎重に審議すべき」などと意見が出ていますが、とくに新潟県加茂市では、「住民を戦争動員のための自警団に組織させるもので危険」として、計画の策定そのものを拒否しています。さらに、東京都の国立市では「総合地域防災計画を作成し、自衛隊中心の国民保護計画に替える」としています。
本市もこの8月末、国民保護計画素案を策定し、市民意見を求めるとしていますが、私は国民保護協議会の審議を傍聴してびっくりしました。そして、やっぱりとも思いました。素案では、京都の地域特性として、観光客対策とか文化財対策などをもりこむとしてしていますが、その一方で協議会委員から「北朝鮮のテポドンミサイルの実験があったが、反対する人達にあたればよかったと思った」という趣旨の発言がありました。結局、仮想敵国やテロリストなどを想定する国民保護計画とは、避難訓練の非協力者イコール利敵行為の非国民というレッテルをはり、日常的に市民を相互監視させるシステムです。すなわち「銃後の守り」を構築することにあることは、もはや明白です。
そこで質問しますが、国民保護計画は、住民の福祉を増進させ生命と財産を守る地方自治体本来の役割を自己否定するものであり、計画の策定はやめるべきですがいかがですか。 また、仮に自然災害以外の非自然災害に対応するというのであれば、京都市地域防災計画の準用にとどめるべきですが、いかがですか。
また、素案では、「平和を基本理念としている都市」と本市を位置づけていますが、ミサイルが市民に当たればいいなどと発言する人物は協議会委員としてふさわしくありません。任命権者として辞めさせるべきですが、いかがですか。
〈答弁→毛利副市長〉 国民保護計画は地域防災計画とは趣旨や性格等を異にするものであり、法定受託事務として全自治体で作成しなければならないもの。指摘の協議会委員の発言内容の真意は、外国と比較し、大規模テロ等への心構えや体制づくりの必要性についてのものであり、平素からの国民保護に係わる教育や啓発の重要性を述べたものである。
東山区の公衆浴場「寿湯」の廃業に関して(要望)
寿湯が廃業となります。高速道路新十条通りのトンネル工事による立ち退きが原因ですが、まさに京都市の責任にかかわる大問題です。
近くに銭湯がなくなると、高齢者にとって地域に住みづづけられるかどうかの死活の問題になります。本市が替わりの銭湯を確保することと、それが実現するまでは近隣の浴場への送迎バスなど救済策を早急に取るべきです。
以上で私の質問を終わります。ご静聴ありがとうございました 。