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市会報告

井上けんじ 議員

04年3月 4日(木)

井上けんじ議員の代表質問(大要) 04年2月定例市会 本会議代表質問

在宅酸素患者の負担軽減を

 南区選出の井上けんじでございます。私は日本共産党市会議員団を代表して、市長ならびに理事者の皆さんに質問いたします。

 「朝起きても行くところがないということほどつらいことはない、これが失業というものか」と、ある市民の方がつくづくと言っておられました。「仕事が見つからない」「おばあちゃんが退院を迫られているのに行く先がない」「年金は少ないし医療費は高くなるし年寄りは死ねというのか」「福祉の後退どころかこの頃は福祉絶滅と言う感じがする…」。本当に切実な声が渦巻いています。今こそ市民のくらし応援の政治が求められています。ところが自民党公明党小泉内閣は、医療の保険料や窓口負担の値上げに続いて、今度は何と年金にまで大ナタをふるおうとしています。

 そこで私はまず第一に、年金や医療・福祉などの問題から取り上げます。

 年金についての政府の今回の提案の最大の特徴は、大幅な保険料値上げと給付の値下げです。保険料は、国民年金では今の13300円を16900円に、厚生年金では現行、年収の13. 58%を18. 3%へと、国会での審議抜きに毎年値上げ、給付も自動的に値下げ、共済なども同様と、本当にとんでもない代物です。法律で既に決めている通り国庫負担を現行三分の一から二分の一に引き上げること、これは道路特定財源の一般財源化などにより財源的にも可能です。また雇用を守り拡大して空洞化を防ぐこと、更に150兆円にのぼる巨額の積立金を計画的に取り崩すことなどが必要ではないでしょうか。今、市民の国民年金額は月5万円前後で、単身者の場合、生活保護基準にも足りません。生活保護は、他の法律や施策を優先するということになっていますが、年金を優先してもなお保護の対象になるということ自体が、いかに年金がその本来の役割を果たしていないかということの証明ではありませんか。また年金制度も憲法25条に基づいていますが、最低生活をも割り込む年金額は、今の水準ですらこの憲法に違反すると言わなければなりません。こういった動きに対し、市民のくらしを守る立場から、市長も大いに批判の声をあげられるようまず最初に強く求めるものであります。

 市長は常々「福祉は後退させない」と言い続けてこられました。しかし実際は、政府の医療費の窓口負担や保険料の値上げに追随し、また国民健康保険や介護保険など、国の負担割合の減額などにも何ら抗議の声もあげず、もっぱらそのしわ寄せを市民に押し付けてきました。在宅酸素療法の患者さんたちに被害が及ばないようにと自治体の独自措置を求める切実な願いについても、市長はこれを拒否し続けています。一億円あれば負担を軽くできるではありませんか。支給制度の対象を障害者手帳3級まで拡大し直ちに実施するように求めますが如何でしょうか。一昨年秋以来の高額医療費の償還についても、今日現在で27%も未償還のままになっているとのことですが、この秋には時効になり、申請漏れで返してもらえる権利が消滅してしまう恐れがあります。どのようにされるつもりでしょうか。また障害者支援費制度の発足後、施設によっては、財源不足で行事を減らしたりしているところも出ています。更に生活保護についても、国による高齢者加算の削減、及び市の独自措置である夏季歳末見舞金の削減は、いずれも絶対に認められません。市長の責任に属する夏季歳末見舞金削減の撤回を求めますが、いかがでしょうか。

〈折坂保健福祉局長〉障害者への医療費の支給を3級に拡大するために5億円、呼吸器機能障害に限定しても1億円の経費が必要。厳しい財政難で困難。生活保護世帯は現在一般世帯の7割の消費支出で大きく改善している。最低限度の生活保障は国の責任だ。

介護保険の減額制度の拡充を

 次に介護保険について質問します。私が相談を受けた97歳と67歳の、お母さんと娘さんの二人暮らしのご家庭の例ですが、お母さんの介護が支給限度額を超え、10割の負担を払うか、それ以上の介護はあきらめるか、それとも娘さんが、ご自身も介護を少し受けながらお母さんの介護にかかるか、結局、この最後の方法しかありません。「必要な介護を受けるのに、なぜ利用料が10割負担なのか、そのために高い保険料を払っているのではないのか」と言っておられ、私も返すことばが見つかりません。

 介護保険法自身が、法施行後五年を目途に全般的に検討し見直すと謳っています。ところが、現在国が検討しているのは、保険料徴収を今の40歳以上から、20歳または30歳以上に引き下げて年齢幅を拡大する、利用料も今の1割から2~3割への値上げ、施設では入所費用の更なる値上げなどであり、これでは改善のための見直しというよりも、いっそうの改悪ともいうべきではありませんか。保険料利用料の軽減、基盤整備の充実、介護予防の充実、自治体の役割のいっそうの発揮など、こそが求められているのではないでしょうか。また現場や研究者などによっては、要介護度を6つも細分化しなくても、もっとケアーマネージャーの裁量を拡大すればいいのではないか、支給限度額はなくてもいいのでは、保険料の段階設定も見直すべき、福祉事務所や保健所との連携をもっと密にしたい、介護職員の身分や労働条件の改善を、等、いろいろな声が上がっています。発足後最初の見直しのこの時期こそ、根本的な改善への第一歩とするのかそれとも問題点を孕んだまま固定化し、国民へのいっそうの負担増などへ踏み出すのかが問われています。市としても、様々な角度からの旺盛な議論を、この機会を逃さず、市民に呼びかけるべきではないでしょうか。

 その議論の焦点の第一は何といっても負担の問題です。今のしくみでは、給付の伸びに応じてその負担が利用料保険料にはね返ってきます。そもそも非課税のお年寄りから保険料・利用料を取り立てること自体が間違いです。それぞれ、抜本的な軽減策を講じるとともに、当面、現行の減額制度を拡充するように求めますがいかがでしょうか。

 第二に、根本的な改善のためには国の負担割合の引き上げが必要です。元々老人福祉に対する国の負担は8割から、80年代後半の補助金カットで5割、そして介護保険で2割5分にまで減らされてきました。今の国の負担割合を既成事実としたあれこれの議論は事の本質を見誤らせるものであります。最小限の要求として、当面、調整交付金を国負担25%の枠外とすることについては、各地方団体も声をあげていることですから、本市としても、この点について、強く国に要求することを求めます。

〈保健福祉局長〉減免制度は昨年末と比べて2倍。1920人に適用。拡充はむり。京都市は国の調整交付金は5%を超える交付で有利に働いている。

 第三に、基盤整備と介護予防についてであります。待機者の実態を明らかにして施設の増設をすすめることが必要です。この点で、国が老人ホーム建設補助金の削減を打ち出していますが市長ももっと強く抗議の声を上げるべきではないでしょうか。また市においても来年度予算案で、保育所や障害者施設も含め、民間社会福祉施設への施設援護費や施設整備借入金償還補助などの単費援護が大幅に減らされていますが、これでは、利用者や労働者へのしわ寄せがいっそうひどくなるとともに、社会福祉法人の施設建設への意欲が全く失われてしまうのではないでしょうか。

 また、介護予防または重度化予防も大きな課題です。朝日健二さんという研究者や厚生労働省の調査によると、訪問指導を積極的におこなっている自治体ほど老人医療費が減少していくという傾向や、訪問介護・通所介護の利用料を助成しているところほど他のサービスや国保医療費が低くなっている傾向が明らかになっています。在宅でも安心して生活や介護のできる条件が整えば、大局的には、施設給付の伸びを抑えることも展望できるのではないでしょうか。給付の適正化や保険料徴収率の向上という方針だけでは、介護保障がないがしろにされるばかりでなく、制度設計上も、長期的には却って費用の増大にもつながりかねないでしょう。この立場から、老人クラブへの助成の大幅減も大問題であります。介護予防やリハビリ、早期発見早期治療体制の充実、地域で暮らせるグループホームや、保険給付と福祉サービスを組み合わせた、都市型の小規模多機能施設の新増設を進めることなどが必要ではないでしょうか。これら基盤整備と介護予防についてもお答え下さい。

〈松井副市長〉「長寿すこやかプラン」で筋力トレーニングなど「転倒予防教室」をおこなう。「健康すこやか学級」の実施地域数を52地域に拡大する。

国民健康保険は、資格証明書の発行でなく正規の保険証発行を

 次に国民健康保険についてお聞きします。7割が非課税世帯、元々高齢者や低所得者の占める割合が多く、最初から保険料だけでは賄えない構造になっているうえに、最近はリストラで職を失って、収入の道も断たれている新規の加入者が増えるなど、その運営はますます大変になっています。乾いたタオルを絞るように、その費用を保険料の徴収のみに求めるのは、もはや限界です。そもそも所得段階によっては所得の15%を超えるような保険料負担自体が異常です。払いたくても払えないのです。にもかかわらず、本市では、さらに資格証明書・短期保険証の発行をこの8年で5倍にも増やすなど、いわば制裁措置の強化によって徴収を増やす方針が強められてきました。その結果はどうでしょうか。昨年末、京都府保険医協会が主催された「国民皆保険の回復をめざす第二回フォーラム」という催しで、ある新聞記者の方が問題提起をされておられました。いくつかの病院から、短期証の患者には、その期間の範囲内でしか薬を出さない、保険証をもっていない患者が運び込まれるとできるだけ安い治療で済ます、などの話を取材してきたとのことであります。文字通り、命にかかわる事態となっています。他都市と比べても京都の努力は充分ではありません。例えば資格証明書の発行について言えば、京都3700件に対し、名古屋では世帯数が1. 6倍あるのに、僅か8件しかありません。国民健康保険法第9条では「災害その他の特別の事情」がある場合は資格証明書は発行しない旨の規定がありますが、例えば旭川市では独自の要綱を作って「特別の事情」を広く解釈しています。現行規定でも、災害の他、病気・負傷、事業の休止・廃止等に類する事由がある場合、と書かれていますから、この活用次第では、保険証発行の拡大も可能ではありませんか。

 そこで質問ですが、国の負担割合を以前のように医療費の45%に戻すよう強く要求っすること、市独自の繰入金についても、指定都市では下から三番目です。抜本的に増額すること、まず正規の保険証を発行して誰もが安心して医療にかかれるようにすること、この三点についてお答え下さい。

〈保健福祉局〉資格証明書の機械的発行はやっていない。国に補助金増額や制度の抜本的改革の早期実現を要望する。

ゴミの分別収集を徹底し、焼却灰溶融炉計画の撤回を

 大きな二番目に、ごみ行政について質問します。

 焼却や埋め立てに頼ってきたゴミ行政がゆきづまり、ようやく日本でも、リサイクルや発生抑制への転換が言われ始めています。徹底した分別収集を行っている名古屋市は、1998年にゴミ非常事態宣言を出してから、2001年までの3年間にゴミ総量を4分の3以下に、埋め立て量を半分以下に減らしています。ところが、京都市では、缶・ビン・ペットボトル3種混合の収集を続け、クリーンセンターの新規建設を一貫してすすめるなど、全国の流れに逆行するゴミ行政をすすめてきました。市長は、3種混合の収集について「世界一の工場の機械で自動選別している。名古屋は近代的な工場を持っていない」とのお考えのようですが、市民の協力を得てゴミ分別を進め、減量によって脱ゴミ焼却をめざす自治体の努力を評価しないのですか。市民の協力も得、職員の力にも依拠して、京都でも分別収集の徹底を進めるべきだと思いますが、いかがでしょうか。一月下旬の読売新聞でも、名古屋から京都に通勤されておられる大学助教授の、「名古屋市民にできたことが京都市民にできないはずがない」とのコメントが紹介されています。市長も、リターナブルビンの拠点回収を20店舗設置すると提案されておられますが、これにとどまらず、ビンを混合収集からはずし、色分けに回収するなど、分別収集の徹底を、まずビンからでも始めたらどうでしょうか。また関連して、他都市でも定着しているリサイクルプラザの設置についても合わせてお答え下さい。

〈松井副市長〉03年12月の「京のごみ戦略」を推進。リサイクルプラザは考えていない。情報誌「グリーンページ」の作成などで市民の取り組みを支援する。

 さて、先日の市長選挙の公約で、市長はクリーンセンター5工場体制を4工場体制に減らすと宣伝してこられましたが、そもそも、ここ数年、ゴミ量は減少を続けています。これは主に長引く不況と建設リサイクル法の実施などによるものであって、市長が何らかのリーダーシップを発揮したとか、市が独自の努力をした成果だなどと言えるものではありません。クリーンセンター5工場の処理能力で充分におつりがくる状態、4工場でも充分に賄える状態になっていますから、4工場体制は、いわば、現状をありのままに言い表しただけのことではないでしょうか。むしろ問題なのは、このように工場を減らして財政を節約すると打ち上げておきながら、ではなぜ、焼却灰溶融炉建設計画を、突如として復活させたのかということであります。総事業費として230億円が予定され、完成後の維持管理費も相当の費用がかかると言われています。ゴミ減量により、東部山間埋立処分地も予定より長く使える見通しも立ちつつあるのではないでしょうか。またそのための努力こそが求められています。深刻な財政危機と言われる今日、不要不急の事業ともいうべき溶融炉計画は撤回すべきであると考えますがいかがでしょうか、答弁を求めます。

〈市長〉クリーンセンターの消却灰を高温で溶融することで容積を半減できる。環境負荷を少なくするための施設で東部山間埋立処分地は、財産。一日でも長く安心して使用するために焼却灰溶融炉施設は早急に完成すべきで新年度から建設着手する。

市バスの管理の受委託を撤回し、便利で市民に愛される路線の設定を

 三番目に市バスについて質問します。市交通局は、この間の一連の方針の発表とその具体化の中で、バス事業を、順次、管理の受委託方式に切り替え、あと5年のうちに、全体の1/2の規模にまで拡大する、そのため、横大路営業所に続き、洛西・九条・梅津・西賀茂各営業所での受委託を進めるとしています。これは、走る車は市のバスで、ダイヤも市が策定・管理するとはいうものの、運転を引き受けるのは民間会社で、従って運転手は民間の労働者、これによって人件費を節約、経費節減を図るというものですが、そもそも会社は利益があるからこそ委託を引き受ける訳ですから、市が委託費を安くしようと思えば、そのしわ寄せが労働者に及ぶことは明らかであります。ハンドルを握る労働者の身分待遇の保障なくして利用者乗客の安全はありません。同時に、この民間受委託が既成事実化していけば、結局市バス路線の存続自体も危うくなっていくのではないでしょうか。実際、この民間受委託の動きと併行して、三年前にもいくつかの路線の廃止や縮少など走行距離が一日当たり5千kmも削減されましたが、この春もまた一部での改善はあるものの、全体として縮小の方向での路線の廃止や変更が予定されている有様であります。

 市長と交通局の発想は、積極的に乗客を増やすことよりも、赤字だから支出を抑えなければならない、そのためには受委託だ、路線の廃止だ縮小だ、というわけで、これでは際限のない先細り路線と言わなければなりません。

 公共交通、即ち移動の権利を保障するものとして、市バスの充実をしっかりと位置付けることが必要ではないでしょうか。福祉や教育と同じように、市民の移動を保障するためには、路線によっては赤字もありうることであり、だからこそ、最近、各自治体で福祉バスが走っているのであります。ムーバスの武蔵野やフラットバスの金沢などの市長は「老人の外出を促進すれば寝たきりもへらすことができる」との趣旨の発言をされておられます。運賃だけで賄うべきという国の独立採算性の押し付けについても、撤回を求めていかなければなりません。しかし同時に、積極的な営業努力が必要であることも言うまでもありません。ところが、実はこの点でも、市長や交通局はその努力が不足していると指摘しないわけにいきません。赤字の理由は利用が減っているからであり、その理由は不便であり時間通りに来ないからであり、運賃が安くないからであります。それらの理由を丁寧に取り除く努力によって利用を増やすという本来の道に立ち返ることが求められていると考えます。

 例えば、今春から203号と27号に限っては220円のままで乗り継ぎができるとのことですが、この乗り継ぎ制度をゾーン制などに、もっと拡大しては如何でしょうか。また定時走行への努力も、警察や商店街などともいっそう連携し、バス停などでの駐車に、もっと厳しい対応が採れるのではないでしょうか。交通需要管理や各種交通実験、LRT・新型路面電車の検討なども、どうも都市計画局任せで、交通局としてのかかわりが見えてきません。もっと連携を深めるべきではないでしょうか。今の交通局では、とりあえず市バスと地下鉄の運営・経営をどうするかというだけで、市民の足をどう守るのか、全体として京都の交通はどうあるべきか、という視点が、率直に言って欠けているのではないでしょうか。そこで質問ですが、第一に管理の受委託の方針を撤回すること、第二に、乗り継ぎの改善・地域のコミュニティバスなど公共交通を軸にきめ細かな路線を設定し、低床バスやバスロケーションシステムを増やすなど利便性を高めること、第三に総合的交通体系を、利用者や専門家など各市民の声を取り入れて確立すること、最後に、嘱託職員による路線も増えていますが、運転手の身分が非常に不安定であります。身分をしっかり保障すべきですがいかがでしょうか。以上、積極的な答弁を求めます。

〈市長〉基本計画の「歩くまち・京都」を実現し充実をさせることが必要。「交通事業ルネッサンスプラン」を策定し経営健全化推進している。受委託を二分の一まで拡大していく。嘱託運転士は法令で雇用する。路線のありかたは利用実態に見合った路線や運行回数を直す。

市民の文化活動への支援強化を

 次に、市民の文化活動への支援の強化を求める立場から質問します。特に文化市民局関係の予算は、体育振興会への助成などスポーツ振興対策も含めて大幅に削られています。スポーツや芸術文化の鑑賞や参加は何よりもまず市民の基本的権利であることを銘記すべきであります。立命館大学の木津川計先生は、都市の文化の発展のためには、専門的なプロの高い水準の「一輪文化」というものと、アマチュアによる「草の根文化」の二つの共存が必要だと力説されておられます。

 いわゆる各種団体のひとつである文化協議会は、各行政区によって、その組織や活動に違いがありますが、南区では二ヶ月毎に演奏会などに取り組んでおられます。場所は区役所ホールやアバンティなどですが、各サークル毎に、みなさん手弁当で、歌・日本舞踊・楽器演奏等を披露されています。私も時々おじゃましますが、身近に無料でいい文化に接することは、専門的な芝居や演奏を鑑賞することとはまた別の意味で楽しみであります。八百屋の奥さんやごく普通の主婦の皆さんたちも、この日こそはと、日本舞踊やコーラスを披露されます。また演奏会とは別に、絵画や書道、小物制作など、作品の展示会も折々、開かれています。しかし本市では98年度から各種団体補助金が廃止され、この文化協議会への補助も区全体の推進事業費に統合されてしまいました。ところがこの推進事業費が来年度、大幅に削減されようとしています。案内のチラシ印刷や音響設備、また展示の場合は掲示板など、手作りでも最低限の費用がかかります。今、来年度の企画をどうしようかと案じておられます。世界的なレベルのプロの芸術文化に接する機会をもっとひろげることとともに、こういう市民の地道な日常の、草の根の文化活動を支援し裾野を拡げることも、本市の言う「芸術文化の都づくり」の柱であり土台ではないのでしょうか。そこでまず、来年度の区づくり推進事業の予算減を撤回し、せめて今年度なみに確保することを求めますがいかがでしょうか。行政区制度検討調査会でも「区の個性を生かしたまちづくりの推進」と言っているではありませんか。お答え下さい。

〈柴田文化市民局長〉きびしい財政難で削減せざるをえない。これまでの成果を後退させることはない。個性に応じた事業の選択と予算の集中をおこなう。

 また本市では、多くの関係者の叡智も集めて、96年には芸術文化振興計画、昨年は都づくりプランなどが策定されてきました。それらの際、関係者からも、活動上のスペースや発表の場の確保、文化施設の整備、助成制度の充実、芸術センターの拡充、京都文学館の設置、さらには、市立の高校や大学に、音楽や美術だけでなく広く芸術文化映画等の専攻科または専科の学校の創設を、等々、実に積極的で様々な声が寄せられてきました。それらの中から、特に以下の二点についてお尋ねします。一つは、スペースの確保にかかわって、当面、学校の空き教室や、統廃合で今後の活用が未定の学校を活用できないでしょうか。

〈高木副市長〉「ふれあいサロン」「学校コミニテイプラザ」を全小学校に配置。「京都芸術センター」に制作・発表の場を提供し今年から地域文化会館の空き時間帯を提供している。

 二つ目に、本市の「都づくりプラン」の中でも「子どもの芸術教育の重視、学校内外での鑑賞の機会を増やす」と唱われていますし、名古屋や大阪市では芸術鑑賞費が学校運営費として制度化されています。特に子どもたちに最良の芸術文化への創造と鑑賞の機会を提供する意味から、音楽や芝居・人形劇など、学校、または各会場での演奏・上演の鑑賞ができるように学校教育の中で位置付けを高めることが求められているのではないでしょうか。いかがですか、答弁を求めます。

〈門川教育長〉小五年全児童が京響、六年がミュージカルなど「京のみやび探検隊」などに取り組んでいる。各学校での文化芸術鑑賞のとりくみを進める。

同和行政について

 最後に、同和行政について質問します。まず部落解放同盟の内部の会議である企画推進委員会に市幹部や職員がたくさん出席して施策の説明や相談をするという不正常な状態が、未だに精算されていません。キッパリと解放同盟との特別なあらゆる関係をいっさい断ち切ること、今後企画推進委員会にはいっさい出席しないことを強く求めますが、いかがですか。また旧同和地区の児童にだけ特別の奨学金を支給し続け、しかも返済免除としています。これでは自立促進どころか、却って自立を妨げるものではありませんか。そもそも法律上の特別対策が終結し、その根拠が全く失われているのに、こういう奨学金を続けることは、逆に、市民への平等な施策の提供を唱った地方自治法第十条などにも違反する恐れがあります。ただちにやめるべきでありますがいかがでしょうか。答弁を求めます。

 本市では「同和問題の残された課題については人権行政を推進する中でその解決に努める」との方針を掲げ、「人権」の名で同和行政が続けられていますが、そもそも人権の侵害主体は本来、国・自治体や大企業などの社会的権力であり、市の言う人権は、これを個人の間の問題に矮小化し、行政などの人権侵害を免罪するとともに、「市民の心に差別心が残っている」などと市民の内心の自由を踏みにじる、それこそ憲法19条違反、基本的人権の侵害にもなりかねないものです。各種の同和研修や広報・スローガンなど、もう市民は「人権分化」に辟易しています。本当に人権を言うのなら、誰でもが安心して健康で文化的な生活を送れるように保障することこそが基本的人権を守るべき行政の役割ではありませんか。最後にこのことを強調して質問を終わります。

〈高木副市長〉企画推進委員会は出席していない。同和問題解決へ関係する団体との必要な協議は行う。奨学金は同和問題の残された課題の一つ。経過措置の後に一般施策へと移行する。自立促進援助金は、新たに支給基準を設け運用を見直す。