公立大学法人京都市立芸術大学に関連する議案についての反対討論 - 市会報告

公立大学法人京都市立芸術大学に関連する議案についての反対討論

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閉会本会議討論
井上けんじ議員

 私は議第119号、議第138号、及び議第139号の公立大学法人京都市立芸術大学に関連する議案3件について、いずれも反対の立場から、その理由について、日本共産党議員団を代表して討論します。 これら三つの議案は、今年3月の議会で可決された、公立大学法人による市立芸術大学の設置・管理という方針の具体化をはかろうとするものであります。しかし、今春の提案にも我党は反対しましたし、この立場は今も全く変わりはありません。
 この十数年来、地方分権や地域主権改革と称して、一方で国と地方自治体間の権限や財源の問題が議論され続けておりますが、他方では、その同じ時期に、民間委託や指定管理者制度、PFI、公務労働における非正規労働者の増加等々の事例が急速に広がり、国とともに自治体の民営化・民間化と言われる方向がどんどん推し進められています。
 一方、政府の大学政策から言えば、小泉内閣時代の「構造改革」路線が大学にも及び、全体として大学予算の削減を前提に、大学間における格差拡大、基礎研究や人文・社会科学の軽視、先端技術研究偏重、そして政府ひも付き研究や大企業からの寄付金獲得への依存傾向が強められてきました。特に外部資金は寄付講座などと呼ばれ、一例では、東京電力が東京大学に何億円もの寄付をしたりしています。2004年に国立大学が法人化されて以来、この6年間で、運営費交付金は750億円も減らされています。昨年4月に発表された日本学術会議の「日本の展望-学術からの提言2010」という文書でも、「国公立大学の法人化が行われ...多くの研究教育の現場で活力が低下した」と書かれています。
 芸大の法人化も、大きく言えば、こういう地方自治体や大学をめぐる悪しき流れの一環であります。市長の判断によって、法人化しない選択肢があったにもかかわらず、なぜわざわざ舵を切ったのでしょうか。市長は常々、都市間競争とか京都の力云々と強調されますが、結局は国の「構造改革」の流れに沿っているだけではありませんか。これが、まず、賛成できない第一の理由であります。
 第二に、具体的に中期目標案を見ますと、例えば教職員への評価方法の研究と書かれています。これは「職員の給与は勤務成績を考慮する」という独立行政法人法が根拠になっていると思われますが、一体どんな研究をするというのでしょうか。勤務成績とは、誰がどんな基準で何を評価するのでしょうか。大学教育の成果というものは、まして芸術や文化というものは、一朝一夕に答の出るものではありません。
 経済総務委員会では法人化の理由のひとつとして「専門的な職員が異動せず、長く居てもらえるため」との趣旨の答弁がありました。これは理由にはならないと私は思いますが、この職員の問題については評価委員会でも議論がありました。曰く。「科学研究費獲得には、どのように見せるのかというテクニックが大事。そういう技術は事務職員が持っている」云々。そういうことが職員の専門性ですか。こういう勤務成績によって給与が考慮されるのでありましょうか。
 一方、こういう議論は、勤務評定の問題に留まらず、今後、経常的な運営費が減らされていくおそれも抱かせるものであります。実際、中期目標の中には外部資金獲得も掲げられています。公立大学に対する地方交付税も減らされておりますし、運営費交付金が減らされない保障はどこにもありません。教員も職員も、外部資金の獲得に時間と労力が費やされ、また文科省であれ企業であれ、外部資金の性格や目的によっては自由な研究が制約されるおそれも出てくるのではないでしょうか。学外連携の対象として産業界も挙げられておりますが、長期の営みが要求される教育研究、まして芸術文化の分野において、目の前の実用化の方向ばかりが重視される心配はないのでしょうか。
 以上、中期目標について何点か挙げましたが、こういった各項目だけにとどまらず、むしろその全体的な枠組み自体にもっと大きな問題点が横たわっていると私は思います。そこで第三に、中期目標案とともに、定款や、またこれらの根拠となっている地方独立行政法人法を見てみますと、そもそもこの中期目標案は、議会の議決が条件とはいえ、市長が指示し、これに基づいて教員などが膨大な事業報告書を書き、そして評価を受け、市長が所要の措置を講ずる、という仕組みになっています。この構造そのものが、大学の固有の性格を全く無視をしています。
 大学の目標やあり方を決めるのは大学自身であって、市長は教育環境・教育条件の整備を専らとすべきではないでしょうか。教育基本法で謳われている「不当な支配に服することなく」という規定は今も健在であります。まして大学であり、まして芸術大学でありますから、大学の目標や運営、学長の専任等は、教授会や職員、学生など大学自身の構成員を主人公とすべきです。学校教育法でも、重要な事項を審議するのは教授会だと謳われています。市長といえども口を出すべきではありません。
 全体としてこういう枠組みは、中期目標の策定過程だけにとどまらず、それを誰がどういう仕組みでどういう角度から評価するのかという問題や、更に学長となる理事長を任命する仕組み等々、外部委員を含む経営審議機関や評価委員会等を通じて、増々、大学構成員から外部へシフトし、また、芸術文化とは相容れない財政重視の方向へと繋がっていくのではないでしょうか。
 国立大学の場合は、せめて国立大学法人法という法律が根拠となっていますが、公立大学の場合は、地方独立行政法人法という行政機関一般の独法化について規定した法律の中に、とってつけたように公立大学法人に関する特例という章がひとつ設けられているだけであります。こういう枠組み自体、そもそも大学の自治や学問研究の自由といった、他の行政機関とは全く位置付けや性格の異なる大学という独自の存在意義が、曖昧にされ、一般化されてしまっているのではないでしょうか。大学の特性に配慮すると、アリバイ的にこういう条文が付け加えられていること自体、問題点が自覚されているからでしょう。中期目標がこういうフレームの中に位置付けられていることが、反対する三番目の理由であります。
 最後に、中期目標案には全面移転と書かれています。大学内部の構成員や関係者の皆さんの総意で準備がすすめられるよう期待するとともに、一方、現施設の老朽化その他、移転まで猶予のできない、緊急に改善を要する箇所や項目も少なくありませんから、移転を理由に先送りしたり曖昧にしたりせず、早急に改善を図られるよう求めて討論とします。

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